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包丁の歴史

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日本の包丁の歴史

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ここでは、日本の包丁がどのようにしてできたのか、その背景をお話したいと思います。

古墳時代、江戸時代、昭和にかけて、時代背景により形作られていく包丁のルーツはとても興味深いものがあります。

 

 

5世紀(古墳時代)

名前からも分かるように、当時の日本にはたくさんの古墳が作られました。

なかでも、大阪・堺の周辺では特に多くの古墳が残っており、世界で最も大きい古墳である仁徳天皇の古墳があるのも堺です。

この古墳づくりを進めるために鉄の技術が必要になったことから、堺には鉄を扱う技術が入ってきました。

上質な鉄を作るためのたたら製鉄も、この時代に日本にやってきています。この時期が、日本の製鉄技術の始まりといえるでしょう。

http://www.sakai-tcb.or.jp/spot/spot.php?id=126

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南蛮貿易と堺

堺にもう一つ大きな転機が訪れました。それは南蛮貿易です。

ポルトガルから銃という当時最先端の技術が入ってきたのですが、その技術を堺の商人がうまい具合に利用して、商売を繁盛させたそうです。

古墳時代から伝えられてきた鉄の技術、そして平安後期の武器需要を捉えて日本刀を作り続けた優れた製鉄の技術がある堺だからこその成功です。

それに伴って武器である刀の需要も増え、人と物、金と情報が集まる堺は日本最大の貿易港として一気に栄えました。

http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/kokusai/koryukaigi/rekishisasshi/nanban.html

http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/kokusai/koryukaigi/rekishisasshi/nanban.html

 

 

 

江戸時代と日本刀

江戸時代になると、戦国の世ほど大規模な争いはなくなりました。つまり戦いがないということは、武器である日本刀も売れなくなるということを意味していました。

つまり、堺の職人たちは知恵を絞って、日本刀に代わるビジネスを作り出す必要があったわけですが、そこで誕生したのが、日本刀の技術を応用して作り始めた包丁だったのです。

元々の高い技術から、堺刃物は瞬く間に高い評価を得て、なんと当時の徳川幕府から「堺極」という角印をつけられるまでになりました。

堺がすごいのは、徳川幕府が日本中の職人と金属を堺に送り、彼らに包丁を作らせたという「独占販売」の命を受けたことです。いかに堺が優れていたかがわかるエピソードです。

そして、堺は一流の刃物産地としての地位を確立したのです。

中でも出刃包丁は堺で初めて開発されたとされており、現在家庭で使われている包丁はほとんど江戸時代に完成されたと言われています。

http://www.sakai-ya.com/histry.htm

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明治時代

明治時代ではかの有名な「廃刀令」が施行され、刀鍛冶から包丁鍛冶に鞍替えする職人が多くいました。

食文化にも大きな変化が訪れました。それは肉中心で構成される西洋料理が日本に入ってきたことです。

これにともない、洋包丁という、和包丁とは考え方も扱い方も違う包丁が入ってきたのです。

野菜や魚を「引いて切る」和包丁に対して、洋包丁は肉を「押して切る」ものです。

西洋料理は当時とても高価なもので、特別階級の人しか口にすることができなかったため、洋包丁も一般家庭には広まらず、もっぱらプロの料理人たちが使うようになりました。

http://shokubun.la.coocan.jp/youshoku.html

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戦後と三徳包丁

戦後になり、一般家庭にも洋食が広まったことで、和食にも洋食にも対応できる包丁が求めらるようになりました。

そこで誕生したのが三徳包丁です。

それまでの一般家庭では、野菜を使う菜切包丁と魚や野菜を切るための出刃包丁があるくらいでしたが、出刃包丁は重たいため、肉を切るのには労力を必要としました。また、刃が直線になっている菜切包丁では、うまく刃が肉の中に入っていかないため、やはり上手に肉を切ることができませんでした。

では洋包丁を使うかというと、ずっと「引いて切る」和包丁を使っていた日本人にとって、体重をかけて使う「押して切る」洋包丁は扱いにくいという問題がありました。

そんな中で生まれたのが、牛刀のような肉を切るためのカーブを持つ切っ先と、日本人の手に馴染んだ菜切包丁ゆかりの直線的な刃を組み合わせたような見た目の三徳包丁だったのです。

一般家庭の人にとって、肉は牛刀、野菜は菜切、魚は出刃と柳刃というふうに毎回持ち替えるのが面倒だったこともあり、一本あれば大体の料理に対応することができる三徳包丁が流行るようになったのです。

 

http://bari-goo.com/life/post-433/

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(上から出刃包丁、三徳包丁、牛刀。三徳がちょうど中間の形をしています)

 

 

 

産地拡大した昭和時代

これまでは金属を打って成形する「打ち刃物」が中心でしたが、昭和後期には「抜き刃物」というものが生まれます。

ステンレスの製造技術が確立し、錆びにくく扱いやすい包丁が誕生したことで、板状の材料を包丁の形に打ち抜く大量生産が可能になりました。

これが「抜き刃物」とよばれるもので、結果として手頃な包丁が市場に出回るようになりました。

新潟県燕市も、もともと洋食器の生産で有名な町で、この洋食器の製造技術が抜刃物の製造に生かされています。

近年一般的になった、刃から柄まで全てステンレスで作られている一体型包丁はもともと、ディナーナイフなどの洋食器の製造技術を包丁に取り入れ、試行錯誤の中で生まれた燕の職人の技術なのです。

抜刃物の産地としては燕・三条(新潟県)、関(岐阜県)などが有名です。

ドイツの有名な包丁メーカーであるツヴィリングは、関に工場を作り、そこで包丁を作らせているいうのは有名な話です。

http://tojiro.net/jp/guide/culture.html

http://tojiro.net/jp/guide/culture.html

 

 

 

 

現代に生きる刃物

さて、三条や関のメーカーが製造だけでなく小売も行っているのとは違い、堺ではずっと問屋中心の商売をしていたため、堺のメーカーは一般市場で無名の存在でした。

どんなに良い刃物を作っていも、メーカー名やブランド名は卸先の小売店のものになってしまうため、陽の目を浴びることはなかったのです。

そんな状況の中、1982年に堺打刃物は後世に残すべき優れたものだとして、伝統工芸品を申請し、認定を受けました。

さらに、2007年に「堺打刃物」「堺刃物」という地域団体商標を取り、やっと一般の方にも認知されるようになりました。そのような努力の甲斐もあって、今では堺の包丁と言えば最高級包丁として知られるようになったのです。

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